幸せになるためには、何かを犠牲にしないといけないわけで、私たちは何かが犠牲になっているということを忘れず覚えておかなければならない。

誰かが幸せになると、どこかの違う誰かが犠牲になって不幸になっているけど、

その幸せな人はそんな人のことなんて何も知らないから、

ああ俺って幸せだなってことしか思わない。

当然のことだけど、幸せはみんながみんな同時にはなれないということだ。

もしも、自分と好きな人が両想いになれて一緒になったら

私にとってはすごく幸せなことだけど、

でも彼のことを好きな女の子がいたら、その子はとても悲しんで不幸になってしまう。

逆に好きな人が誰かと結婚してしまったら、私はとても悲しくて悲しくて、

とりあえず今の仕事を辞めて、ニートになって毎日ゲームをして過ごして、

お金がなくなってボロボロになって、不幸な人生を歩んでいくんだろうなと想像した。

 

不幸な人がいるから幸せな人がいて、

悪人がいるから善人がいて、

弱い人がいるから強い人がいる。

私が大人しくしていれば、あの人たちは幸せになれるのかもしれない。

 

私たちの世界はそういうもので、みんな幸せなんていうのは難しく、

何かを犠牲にしないと幸せになれない。

でも、幸せになった途端、何かを犠牲にしたことなんてきっと覚えてやしない。

いつか、忘れてしまうんだ。

自分が何かの犠牲者だとは思いたくないけど、少なくとも自分の人生の中で幸せだなっ

て思った瞬間なんてなかったから、私が何かで悲しんでいる限りどこかの違う誰かが

幸せになっているんだなと思えば救われる気がする…

 

 

 

 

 

 

って、そんなんで救われるかっΣ(-᷅_-᷄๑)

叶えたい夢を実現させるために本当の自分と向き合うってことは、死にそうなぐらいとても大変なことだったんです。

3年ぐらい前からついこの間までとあるセミナーに通っていた。
そう、通っていたという過去形。
現在は、とある事情で通っていない。
いや、とある事情と誤魔化すように言ったけど、わたしの弱さと責任力のなさが原因で行かなくなった。ずっと実現させたかったことがあったけど、それも叶わないまま終えてしまった。いや、正しくはこれ以上は恐くて逃げてしまったんだ。
 
始めたときは、なんか自分が特別な存在になったような気がして嬉しかった。
諦めていたことが、まだ間に合うってわかって嬉しかった。
ここでは、わたしと同じ悩みを持っていたりするいろんな人がいて、
こんな自分でも受け入れてくれる温かい居場所ができて嬉しかった。
違う世界に来たようで、初めて生きている感覚がした。
 
でも、その世界は思った以上に厳しくて、大変で、しんどくて、何度も何度も泣いて、家に帰っても泣いて、この辛かった世界から抜け出すはずが、どんどんどんどん暗い殻に納まり始めて、とうとう出れなくなってしまった。
 
そもそもなんでこのセミナーを続けていたかというと、
とある人とコミュニケーションが取りたかったからだ。
とある、わたしにとっては大切な人。
その人を助けたかった。救いたかった。支えになりたかった。
でも、もうそれも無理なのかもしれない。
そのために100万円使った。いまや貯金はすっかりゼロだ。
 
もう、私には無理だったんだと、ぜんぶぜんぶ忘れようと思って、
この数か月、好きなことして今までのこと考えないようにして過ごしてきたけど、
もう考えなくてもいいことを考えなくても生きていけるはずだと思っていたんだけど、
でも一度知ってしまったことは考えずにはいられない自分がここにいた。
 
そんなわけで、毎日毎日、もう一人の自分との戦いが行われている。
上に行きたい自分と、下に引きずり落そうとする自分。前に進もうと自分と向き合おうとする自分と後ろに下がって自分を傷つけようとする自分。
心が壊れそうだ。今までにない以上の生き地獄が始まっている。
右も左も前も後ろも、どこにもいけない。 
死ぬ気でもう一踏ん張りすればよかったことぐらい、わかってる。

でも、選択したのは自分だ。

どうにも動けなかった自分に宿った小さな光の入口を見つけたけど、それを自分で閉ざした世界で、このさき生き抜くしかない。原因が分かっているのに悔しいね。

こんなことしか考えられない自分が本当に情けなくなった。

渋谷で決意した日

ミオヤマザキの「シブヤノウタ」で

「“自分の為”とかとても難しく

“誰かの為”の方がよっぽど簡単で」

という歌詞を聴いてて、あの日のことを思い出した。

 

昔、好きだった人にこの人なら本音を言ってもいいなと思う人だったので、

今まで自分が誰にも言えなかった正直なことを言ってみた。

当時、やりたかったことがうまくいかなくて、

とりあえず何か職に就かねばと思っていたが、

なかなか自分のために働くということでは動けなくて、

でも親に今まで私に費やさせてしまったお金を返さなくちゃいけないから

だから仕事探さなきゃとかなんとか、

正直に今思っていることをその人に話した。

すると、彼は鼻で笑って一言。

「お前、それ出家できるな」と。

 

渋谷のとある場所で言われた一言だった。

そして、もう二度と人に本音なんか話さないと決めた日でもあった。

おしまい。

誰か妄想を止める方法を教えてください

妄想って恐い。
何か見なければ良かったものを見ると突然始まってしまい止められなくなる。

好きな人があの人と一緒にいるんじゃないか、あの人と仲良くLINEをしているんじゃないか、あの人と楽しくおしゃべりしているんじゃないか、あの人とディズニーランドに行っているんじゃないか、あの人と付き合っているんじゃないか、あの人と結婚の約束をしているんじゃないか。止まらない妄想。悪い方へと結論付けようとする妄想。

なんでこんなにもあの人と自分を比べるのか。
それは、あの人はわたしと比べて綺麗で物事もはっきりと伝えられて、嫌味な感じもなくて、優しくて明るくて話していると楽しい人。彼にはああいう女性が似合ってるんだと思う。
わたしみたいに、可愛くなく、素直じゃなく、感情的で、人から嫌われることを人の何倍も恐れている本音を一切言わない女なんか選ぼうとしないんだから。分かってるよ。もう結果は出ている。この先、奇跡を望んでいても叶わないなんてこと分かってる。

って思い込み出すと気持ち悪くなってきた。喉が焼けるように痛い。寒気もして身体の関節が重い。家に帰って体温計で熱を測ると38℃あった。

やはり、気持ちと身体は比例するんだ。

好きな人が自分を好きになってくれるなんて、奇跡だと思った。

そんな日がいつか来るのかな。

そんな奇跡がいつか。

 

どんなに一途に相手を想っても、どんなに一日中相手のことを考えても、

どんなに相手のためと思っていろいろやったとしても、

いつも最後は苦しくて辛くなる。

アニメのようなハッピーエンドは、わたしの世界では相当な奇跡に値するというか無謀に近い。

でも奇跡、起きないかなぁ・・・と心の中には小さな期待を常に持ってしまう。

 

いつかそんな日が来ないかな、

いつか自分のことを好きになってくれる人が現れないかな、

なんて思っている限り、奇跡なんていうのは起こせない。

行動しないことには奇跡は起こせない。

 

あなたのことがずっと好きでした。

辛くても、今も気持ちはずっと変わっていません。

 

ちょっとの勇気があればいい。自分に責任を持てばきっと伝えられる。と思う。

むかーしむかしのとあるわたし

ダメだ、また日本出たくなってきた。

 

たまに、誰も私のことを知らない場所に行きたくなる時がある。

落ち着いていたけど、最近そう思う頻度が多くなってきた。

なぜか。

それは、抱えきれない問題がたくさんあったり、逃げ出したいことがたくさんあるからだろうね。

 

高校二年生の時に、家族がものすごく嫌で家出をしようと荷物をまとめていたけど、

結局できなかった。というより、怖くてできなかった。

お金もろくになく、生きていく術もなく、あてもなく、何にも持ってなかったからできなかった。

 

当時、アホだったわたしは、どうやったらこの家から出れるのかを必死になって考え、たどり着いた答えが、留学することだった。

日本にいたら、会いに来られたり、帰ってこいと言われたり、いろいろめんどくさいと思って、国を超えてしまえば、そんなのは難しくなるだろうと考えたのである。

 

アメリカに行って、音楽療法士になる!なんて、カッコいいこと言っていたけど、

本当に、家が家族が嫌で嫌で仕方なかった。

このままここにいたら、自分自身が壊れそうで、発狂して家壊しそうで怖かった。

 

というのをさっき、お風呂に入りながら思い出した。

我ながら、なんと行動力がある子だったんだろうと思った。

今も同じような状況だから、また同じパターンでどっかの国行っちゃうかもね。

 

あの頃と何一つ変わってないな。

見た目だけが大人になっていって、心がちっとも追いつかない。

 

おばあちゃんになってもこんな感じなのかな。

嫌なことがあると、どっか行く。いや、おばあちゃんになったら、体力追いつかないから無理だな。うん。

あの日、あの時、あの場所で

タイムマシンが開発されて、一人二回使っていいよって言われたら、

一回目は3年前の冬に戻りたい。

なぜかって?

 

素直になれずに、チャンスを無駄にしてしまったからです。

 

二回目は高2の夏に戻りたい。

なぜかって?

 

家出すれば良かったからです。 

 

ドラえもんまだかな。